1月 21st, 2012
仏教は古代インドに於いて釈迦の教えに基づいて始まった宗教である。インドの歴史の中でアショカ王の時代(BC264-227)など仏教が隆盛を極めた時期はあったが、現代ではヒンドゥ―教が支配的で仏教はごくマイノリティーでしかない。中国に於いても、七世紀から十三世紀にかけて唐や宋の時代のように仏教が花開いた時期もあったが、現代では共産党独裁政治の影に隠れてひっそりとしている。日本に於いても、六世紀に朝鮮半島から伝来して以降歴史は古いが、現代では葬式仏教と揶揄されるように形式的な面が強く、人々の精神生活に深く入り込んでいるとは言い難い。世界的に見ても、イスラム教やキリスト教の勢力圏が伸びており、仏教の伝搬に勢いは感じられない。仏教は果たして今後も生き残れるのだろうか。
仏教は釈迦の教えに始まるが、実のところ釈迦が何を語られたのか、史実としての歴史的証拠は何一つ残っていない。全ては口伝により後世に伝えられたものである。生年についても、(BC566-486)とも或いは(BC463-383)とも言われ、百年位の差異がある。ある歴史家によると(註1)、古代のインドと中国の興味ある相違点は、両方とも略同じ位の古い歴史があるにも拘らず、中国に於いては、現実の出来事を忠実に文字で記すことに情熱を傾け、史記をはじめ信頼性のある歴史書が多くの残っているのに対して、インドの人々は輪廻転生の観念が支配的で、人生は霊魂の一時的な通過期間と見ていたから、誰が何時何処で何をしたかといった現実を書き記すことより、現実を超えた世界の方が重要だったので、文字は無かった訳ではないが、古代インドの歴史書、地理書は遺されていないとのことである。
ウエルズの世界史概説によれば、釈尊の教えは、没後は無論のこと在世中でも様々に誤り伝えられたとある。なにしろ殆ど文字がなく、全てが口コミで伝えられた時代である。さもありなんと思われる。
ともかく、口伝によって伝えられた釈迦の教えは、後世に至って膨大な量の経典として世に現れた。それらの多くは如是我聞で始まる。「私は釈迦の教えを斯の如くに聞いた」ということで、結局は経典作者の主観である。万巻の経典に釈迦の言葉が出てくるが、よく考えてみると、釈迦が生涯の間にそんなに多くの事を話せる筈もない。もし、釈迦が後世の経典を読んだとしたら、「私はこんな事をしゃべった覚えはない」と言われることも多いであろう。
にも拘らず仏教は「釈迦の教えはこうだった」と伝えて人々の信仰を得てきた。更に信仰の対象たる釈迦はブッダという存在に脱人間化され、偶像化されて行った。釈迦の教えは様々な意味に解釈され、分派化されて行った。仏教はこの様にして広がり、形作られてきた。その記述的成り立ちを木の断面にたとえれば、周辺の年輪は、はっきりしているが芯は空洞の様なものと言えようか。
釈迦の教えに基づいて始まった仏教でありながら、釈迦がなんと言われたか、確たる証拠は何も無いとすれば、仏教の信心とは一体何なのか、釈迦の教えと言えるのだろうかという疑問が出てきて当然である。この様な疑問に対してわが師、余語翠巌老師は次の様に言われた。「お釈迦様がなんと言われたか、記録の無い時代だから本当のことは誰にも分からん。お釈迦様がこう言われたといえば誰も反対せんじゃろうと後世の人が作った言葉が一杯ある。どれがごまかしで、どれがごまかしでないか、自分で見分けるしかない。しかし、たとえお釈迦様の話が全部嘘だったとしてもそこに真実があると自分が納得すれば、それを信じればよいのだ。」と。
この様な観方からすると、仏教とは釈迦の教えに名を借りた自らの死生観、人生観ということも出来るのではないだろうか。人生は苦であり、何人も生老病死という苦から逃れることは出来ないという共通の認識から出発し、苦を克服し、心安らかに生きるにはどうすればよいのか。人間の苦の根源は人間自身の煩悩にあるという心の法則に基づいて、どの様に煩悩をコントロールすれば心安らかに生きることが出来るかを教えるのが仏教ではないか。
とすれば、それは人夫々の死生観、人生観である。人夫々に仏教があると言っても過言ではあるまい。仏教にはそういう融通無碍のところがある。しかも、その元になる釈迦の教えは、科学的な思考方法に基づくものであると私は論じたことがある(註2)。釈迦の教えは、人間の心の世界における法則の発見であり、どの様にすれば人間の心をコントロール出来るかの方法を教えていると。
それは他の宗教に見られる預言者的な思考方法とは程遠いものである。釈迦自身が語った言葉を考古学的に立証する事は今や不可能であろうが、たとえそれが釈迦自身が語った言葉ではなかったにせよ、釈迦の死後、信者達が何代にも亘って語り継いで行く間に、万人に納得出来る考え方としてこの様な科学的思考方法に洗練されて行ったと見てもよいかもしれない。
表題に戻って仏教は生き残れるかどうかを考える時、余語老師がいみじくも言われた様に、仏教と、仏教を表看板にする仏教教団とは区別して考えなければならない。後者即ち信者の集まりである仏教教団には栄枯盛衰が付きまとう。衰えることもあろう、亡びることもあるかもしれない。しかし、前者即ち仏教は、人類がこの地球上に生息する限り、たとえ仏教の名を冠せずとも存続するであろう。何故なら、仏教の真理は、恰も水が高きから低きに流れるという自然の法則が不変の法則である様に、人間の心の動きの不変の法であり、政治的弾圧や宗教間の争いで抹殺出来る様なものではないからである。切られても死なないみみずの様に天地のいのちは殺すことが出来ないと表現すればよいのであろうか。
(平成二十三年十一月)
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1月 21st, 2012
▼平成二十四年一月十六日朝日新聞『現代学生百人一首の一部を読んでの記』
機械科で男子の中に女子一人それを覚悟で目指す夢あり 高一 水津梨亜奈
顔知らぬ名前も知らぬ人達に生きてほしいと願った三月 高二 門脇優衣
夏空に白くた 夏空に白くなびくバスタオル遥かに見える雲と重なる 高三 高橋昴太郎
第二五回「現代学生百人一首」東洋大学が毎年発行している全国累計百万余首の内、朝日新聞の天声人語に掲載された十首のうちの三首。いまどきの若い者はなかなかやるものです。
一首目の十年後の姿を拝見したい。二首目まったく同感です。
三首目雄大な景色が見えます、今年は恙無くごく普通な年でありたいと願います。
▼平成二十三年十二月二十一日『翠巌忌の記』
十五回目の翠巌忌は恒例のように実施されました。誰云うと無く十一時に墓前に集合。松巌老師導師のもと執り行われました。今年は十五回目で初めて読経をしながらお墓のな周りを二回廻りました。廻りながらブータンでも同じようにお寺の周りをマニ車を回しながら三周したのを思い出しました。
▼平成二十三年八月十九・二十・二十一日『夏期禅学会の記』
今回は内単に坐らせて頂きました。講元様は山主様の横に私は松巌老師の横に三日間共に坐して一言も会話をしないというのもまあ何というか三黙道場なればこそでした。今回の日々断片はここまでと致しま
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1月 21st, 2012
十一月三日、今まで地元にいながら一度も見学したことのない府中刑務所の見学会に家内と二人で出かけた。今年で三十六回になる府中刑務所文化祭。午前十時開門の二十分ほど前に到着したが、もうすでに五百人以上の人が並んでいる始末。開門と同時に一目散に「塀の中のバスツァー」(午前定員四百五十人)の列に駆けつけて並んだのだが、午前の分は我々の前二十人ほどのところで打ち切られてしまった。安部譲治ならぬ「塀の外の懲りない面々」がこれほど多いとは思いもよらなかった。
あとは午後一時からの受付(二百七十人定員)を待つしかなかった。家内と相談の結果、とにかく、催し会場を見てから早めに再び列に並ぼうと決めた。この日は、一日所長として女優の島崎和歌子さんが来ており、教誨師をはじめとして、いろいろな部署の功労者の表彰式が特設のメイン会場ステージで行われて、一人一人彼女の手から表彰状を受け取っていた。
一方、展示即売のコーナーでは、木工家具調度品(タンス、机、イス、屏風、すだれ、畳など)、衣類、雑貨、御みこし、陶器、文具、靴、各種食品と多彩で、他の刑務所(甲府、長野、岐阜、名古屋、札幌・・・)の受刑者の作品も同じに並んで販売されていた。我々は早めに昼食用のフランクフルトと中華マンを買って十一時三十分にツアーの列に並んだ。すでに百人くらいの人が並んでいた。
午後の受付は一時から始まり、我々の乗るバス(護送用)は二時出発であった。出発はバス五台(一号車―五号車)が順次、ほぼ同時に出発した。係員の説明によると、ここの広さは東京ドームの約六倍 で、受刑者の作業する各種工場、住居棟、巨大な厨房、自動車整備工場、金属金型の工場、グランド、耕作用の畑などがあり、ゆっくりと内部施設の中を一巡した。ここの受刑者は懲役刑のみで、再犯者が多いということであった。現在の受刑者は二千九百人位だそうだ。
ともあれ、別世界を垣間見た一日であった。
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1月 21st, 2012
九月も末を迎え、朝夕は急に涼しさをおぼえるようになりました。先日は翠風講ニュースレターの第二十三号郵送下さりありがとうございました。早速に皆様の玉稿を拝読しました。懐かしいひとときでした。
私は六月の入院を九日間で退院できて、以後日常的には変わりなく平穏な日々を過ごしています。夜中に目ざめた時などは坐禅をすることにしています。二十分ぐらいの短い坐禅ですが、ふしぎと床に入ると、あっという間に眠ってしまい熟睡できるのです。これも坐禅の功徳と、総持寺日曜参禅会や大雄山の夏季禅学会を懐かしく思い浮かべます。ご健勝をお祈り申し上げます。
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1月 21st, 2012
余語老師には長い間お世話になり、話も色々と聞かせて頂きましたが、なかなか難しいものでした。老師の著作も十冊以上ありますが、このなかで印象ぶかい言葉があります。「無限」ということと関連した短い言葉をその中から拾い出してみますと
天地根源の姿 無限者
天地の命 天地根源の命
天地法界の命 悉有は仏性なり
天地の大生命 本当のものの根源
天地の命の姿 天地本源の命
天地法界の世界 天地の命という無限のもの
無はすべての本源 天地本源の命を仏
本源のものが現れた姿
天地の命は無限
天地いっぱいの命を無という 人間の思惑とは関係のない世界がある
天地のいのちという無限のものが有限のものに現じておる姿がわたくしたち
このような短い言葉が老師の著作にはまだたくさんあります。 無駄のように思えましたが書き出してみました。しかし、大切なことでして老師の人々に伝えたかったことは、この無限の世界―無の世界だったと思います。人間の立場からは離れて、物事を見たり、考える必要があるということでしょう。無限の世界だけに、すべてを知り尽くすことはできない。しかし、難しいが入って行くことはできる。
修行には終わりはないといわれますが、これも「無限の世界」に入って行くからではないでしょうか。この「無限」の世界に入るには坐禅があるということでしょう。「祈る」ということは前記の「天地根源の姿」に対して祈ると考えれば理解しやすいと思います。天地根源の姿といっても、見るわけにもいかないし、見せることもできない。だから難しいのでしょう。少しでも感ずることができればと願っています。
老師の話のなかで、印象に残っているものの中に、次のようなものもあります。
『雨降りの日に人々が集まったときに、挨拶をする人が、「あいにくの雨のなかを」ということがあるが、雨は人間の都合とは無関係に降るのである。人間の都合ばかりから物事を考えないほうが良い』このような話だったと思います 雨も天地根源のすがたです。
浅草、浄土真宗のお寺の生まれである永六輔が書かれているものに「神というのは人間が考えつくりだしたシンボルです。仏というのは、自然そのもので、人間が考えつくったものではありません」この「自然そのもの」というのは「天地根源の姿」のことと考えれば理解しやすいと思います
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1月 1st, 2012
新春のおよろこびを申上げます。すべてのものが新しい年の輝にみちております。私共のすがたは一人一人獨自にて皆異っております。私共だけでなく、森羅萬象悉く夫々のすがたをしております。見えるすがただけでなく、心のあり方もちがっております。人間という窓口から眺めますと、すばらしいと思われるくらしをする人、又みじめなと思われるすがたで過す人もありますが。人間の窓口をはずして廣い視界に立つと、夫々が、天地の御いのちの中に、高低長短それぞれの場所を得て一つの大きなハーモニーを形造っていることに気づきます。その大きな眼界から見る時に、今の一時の境は一つのすがたということがわかり、いつも大いなるいのちの一分を生きていることに気がつきます。新春がくればもれなく、新春のひかりに包まれるのであります。共々によろこびあえることこそ尊いことであります。
「めでたさも中くらいなりおらが春」一茶の句があります。いろいろとあることであろうが、ともかくも、めでたさに変りはありませぬ。佛さま、菩薩さまの、いつも光のあふれていることに気付きたいものです。
(「大雄」誌一九八四年新春号『垂示』より)
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9月 25th, 2011
そこはかとなく肌で感ずる新涼の季節、自然の風光のうつろいの徴妙なすがたである。
天地の調和――それは創成もあり破壊もある天地のリズム、その全き荘巌に包まれる時、その表詮は人間の言説を拒否する。
それは音を以て表詮すれば音楽となるものである。
光を以て表詮すれば絵画となるものである。
されど混然一体のとき只如是と云うべきことである。
古語に、眼處聞聲と云うことは、このすがたを云うのである。
眼で声が聞えるわけではない。
或はそう云うことの可能性を求めて修行している者もあるのかも知れぬ。
たわけたことだ。
人は特殊技能を求めることはいらない。
もっと平明なものである。
大智さまは頌して云く、「青天白日人を誤ること多し」と、あまり平明なものは尊く思わないものである。その平明さの中に萬人は救われてある。
(「大雄」一九八六年錦繍号より)
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9月 25th, 2011
今年の翠風講の総会、話し合い法座でこんな興味深いやりとりがあった。「先日、あるお葬式で納棺の儀を終えたところで孫から『人は死んだら何処へ行くの?』と聞かれ『新しい旅立ちなのよ』と答えたものの、実の所自分でもどう答えてよいか分からなかった」という自らの体験を室伏マサ子さんが話された。これに対してブータンの事情に詳しい菊地豊さんは「ブータンの人は明確な答えを持っている」と次の様な話をされた「ブータンの人は大部分が敬虔な仏教徒で、仏壇にはお釈迦様を祀る。日本の様に先祖を祀る習慣は無い。死んだら生まれ変わると彼等は固く信じている。何に生まれ変わるか、牛か馬かハエかは分からないがとにかく生まれ変わるのだから死を悲しまない。生まれ変わるまでの現世で何をすべきか、お釈迦様の教えを守ることと固く信じている。だから彼等は生き物を慈しむ。日本の様に花を折ったりはしない」と。
「成程。ブータンの人は幸せなのだろうな。しかし・・・」と私は思った。「死んだら何処へ行くの?」と聞かれたら、どう答えてよいか私にも分からない。死んだら本当に生まれ変わるのだろうか。お化けではあるまいし、死んだら肉体は死に、それでおしまいではないのか。なにしろ三途の川を渡ってから戻って来た人はいないので、向こう岸の様子は分からない。これは永遠に古くて新しい問題としか言いようが無い。
死後に魂が生まれ変わるという輪廻(サムサーラ)の思想について、原始仏教の研究家並川孝儀氏は、古代インドの初期仏典に於いて時代を遡れば遡る程、輪廻に関する釈迦の表現は否定的かつ消極的になると指摘している。(並川孝儀著「ゴータマ・ブッダ考」大蔵出版)その端的な例が次の偈である。
「煩悩の矢を抜き取った比丘は、この世やあの世といった生存の繰り返しを捨てる。あたかも蛇が年を重ねると今までの皮を脱ぎ捨てるようなものである。」
もともと輪廻の思想は、釈迦在世時の古代インドで支配的宗教であったバラモン教の基本であった。この思想はその後ヒンドウー教に受継がれ、古代から現代に至るまでインドの多くの人々のものの考え方の基本になっている。釈迦はこの思想に疑問を投げかけた。だから当時としては全く新しい思想家だったのだ。しかし、年代を経るに従い仏教にも輪廻の思想が組み込まれ、あたかも輪廻思想が仏教独自の思想と思われる様になったというのが並川氏の仏教史観である。
釈迦は輪廻の思想を明示的にこそ否定はされなかったが、輪廻を超越した思想、少なくとも輪廻という概念に凝り固まった当時の階級思想に対して全く自由な革命的思想を提唱されたのではないかと私は理解する。同じく初期仏典に出てくる「毒矢のたとえ」が象徴的である。(前田専学著「ブッダを語る」NHKテキスト)長くなるのでその部分を私なりに抄訳すると、
ある時、釈迦に「霊魂は不滅でしょうか。あの世はあるのでしょうか。お釈迦様、今日こそは是非私のこの問いに明確にお答えて下さい」と問いかける者がいた。この男は釈迦の下で修行をしていたが、釈迦が輪廻について一向に明確な答えをされないので、これ以上釈迦から明確な答えが得られなければここを出てゆく決心でこの問いを発したのである。それに対して釈迦は次のように答えた。「もし毒矢が腕に刺さった男が『この矢を射た者は王族であるか、バラモンか、庶民か、奴隷か、それが分からぬうちは、この矢を抜き取るまい』と宣言したとしよう。彼には誰が射たか分からないのだから死んでしまうだろう。毒矢を抜くことが先決ではないか。同じ様に、あの世はあるかも知れない、無いかも知れない、私はそういう問いにはっきり答えないし、そういう議論に興味も無い。何故ならそんな問題を百年議論していても結論は出ないからである。私が求めているのはそんなことではなく、どうすれば人は心安らかに生きて行けるのか、そのためには何を実践すればよいのか、そのための正しい行いとは何かということで、それらについては、はっきりお答えしよう。」
この男が釈迦の答えに納得したかどうかは書かれていない。私なら納得したと思う。魂の生まれ変わりを信じようと信じまいと、人間の心につきまとう四苦八苦は無くなるものではない。苦の克服、解脱こそが釈迦の追求したものであろう。
では輪廻は因習に捉われた古い考えであり、現代の科学的思考と矛盾するものなのだろうか。現代に於いてもこれだけ多くの人々が輪廻を信じているのには、何かそれなりに根拠があるのではなかろうか。輪廻に対して現代に生きる我々はどう折り合いをつけることが出来るのだろうか。
この辺り私にはいつももやもやとしているのだが、ふと脳裏に浮かんだのは余語翠巖老師の「無限のものは有限のものにしか現れる所が無い」というお言葉がヒントにならないかということだった。天地のいのちという無限のものを有限の形に表わそうとして仏師は仏像を作る。仏像にはその無限のものが表わされている。それと同じ様に有限の生きとし生きるものに無限のものが表わされていると考えたのが輪廻ではないか。だから誰にでも分かりやすい様に「生まれ変わる」と説明したのではないか。仏師が仏像に託した無限のものが牛や馬やハエ、地上の生きとし生けるものに現れていると理解すれば輪廻を納得出来るのではないか。まさに現成公案である。
正法眼蔵第一現成公按に
「人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆへに不生という。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆへに不滅という。生も一時のくらいなり。死も一時のくらひなり。」
とある。道元禅師の御文章は難しい。しかし、あの「本来の面目」という御歌ならすんなりと入れる。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、涼しかりけり」
この春、京都であった親鸞展で、親鸞聖人の最晩年のお言葉に出会い、震える様な感動を覚えた。これこそ表題の問いに対する最も直裁的な答えではないかと思うので引用して拙稿を結びたい。因みに、聖人は道元禅師よりも二十七年年上で、禅師没年の九年後に亡くなっておられる。
「臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心さだまるとき、往生またさだまるなり」(末燈鈔)
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9月 25th, 2011
平成23年3月11日『東日本大震災』の記
放水の任務終えたる隊長の部下を称ふることばうるみて (徳島県)吉田 哲
「頑張って」「がんばれ」「ガンバレ」もう沢山!私とっくに頑張ってます (仙台市)坂本 捷子
ペットボトルの残り少なき水をもて位牌洗ひぬ瓦礫の中に (いわき市)吉野 紀子
五月十六日(月) 朝日歌壇 より。
第一首 テレビの画面が印象的でした。
第二首 つい言いたくなる言葉です。気を付けなければ。
第三首このご位牌はご先祖様。
2011年8月8日時点 死亡 15,680人 行方不明 4,830人。
★ 汚染された大気は目には見えなく音もなく臭いも色もなくいつの間にか忍び寄り予測がつかないような悪さをする。一日も早く収束することを願ってやまません。それと不幸にして震災に合われた人たちを継続して物心両面の援助させて頂く事の大切さを思います。
★ 88歳の友人は13日以降3月に予定していた食事会、カラオケ、ゴルフ、テニスなどの行事をすべてキャンセルしてその予定費用を全額募金したそうです。そして半月間全く何にもしないのは物心ついてから初めてだそうです。不安というわけではないのですが何かをする気力が湧いてきません。とのことです。
★ 私も貧者の一灯を4月8日に郵便局経由で募金を致しました。9月末まで募金の受付は続いています。この原稿を投稿したあとで、再度募金をする予定です。
★ 渋谷道玄坂上に30年以上続いている東京名禅会と言う坐禅の会が有ります。この会の指導者は毎年パリでも坐禅の指導をされております。そのパリの坐禅会の額縁職人の女性ジョスリン・ダルダヤさんが約30人の坐禅仲間から集めた約十万円を四月に義援金として日本に送ってきたそうです。指導者の方は『心の世界でつながった関係。尊いお金を寄せて頂き大変ありがたい』と感謝し島田市の義援金窓口に届けられたそうです。
★ 昭和62年6月26日は初代講元さんの命日です。あれから24年。藤田彦三郎さんは私たちに何ものにも変えがたいこの翠風講を残して呉れました。藤田さんがこの講を残して呉れたお蔭で、余語老師への思いも個別にならずに群れて語り継ぐことが出来てます。翠風講旗入魂式での『継続なされよ』との余語老師様のひとことがつい昨日のことのように思い出されます。
★ 今回の『東日本大震災』についてはどのように語って頂けるか?。いつまでも余語老師様と藤田初代講元様に頼らず自分で答えを出さなければと思いながらつい頼ってしまいます。
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9月 25th, 2011
六月二十七日、立川シネマ①で、「デンデラ」を見た。豪華な女優陣が老婆に化けた。七十歳になると山に捨てられるという姥捨て山伝説のその後を描いた「デンデラ」(浅岡ルリ子主演)という名の映画である。監督は天願大介。父の今村昌平監督は、姥捨て山伝説を題材にした「楢山節考」(深沢七郎著)でカンヌ国際映画祭の最高賞に輝いた。その後日談を老婆たちが生きていたら、という構想をもとに娯楽作品に仕立てたものである。
極楽浄土に行くことを願っていたカユ(浅岡ルリ子役)は、助けられ、老婆の集落「デンデラ」で暮らすうちに生きる力を取り戻していくという筋書きで、浅岡のほか、草笛光子、倍賞美津子、山本陽子ら五十人の女優が老婆になり、ぼろをまとった。老女が再生する物語と思いきや、集落が熊に襲われると、映画は熊との対決一色になり、名女優が熊と戦い「デンデラ、デンデラ」と叫びながら次々と倒れていく。カユも雪山を疾走し、熊に立ち向かう。ラストシーンは、手負いの熊と正面対決の睨み合いで終わってしまって何か物足りない感じがする。ここはあえて見る人の判断にまかせるという手法を監督はとったのであろう。
もし余語老師が存命で、この映画をご覧になっていたら、何とおっしゃったか想像してみたい。ともあれ、死後の世界を扱った作品としては異色で奇異な感じがした。
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