9月 25th, 2011
そこはかとなく肌で感ずる新涼の季節、自然の風光のうつろいの徴妙なすがたである。
天地の調和――それは創成もあり破壊もある天地のリズム、その全き荘巌に包まれる時、その表詮は人間の言説を拒否する。
それは音を以て表詮すれば音楽となるものである。
光を以て表詮すれば絵画となるものである。
されど混然一体のとき只如是と云うべきことである。
古語に、眼處聞聲と云うことは、このすがたを云うのである。
眼で声が聞えるわけではない。
或はそう云うことの可能性を求めて修行している者もあるのかも知れぬ。
たわけたことだ。
人は特殊技能を求めることはいらない。
もっと平明なものである。
大智さまは頌して云く、「青天白日人を誤ること多し」と、あまり平明なものは尊く思わないものである。その平明さの中に萬人は救われてある。
(「大雄」一九八六年錦繍号より)
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9月 25th, 2011
今年の翠風講の総会、話し合い法座でこんな興味深いやりとりがあった。「先日、あるお葬式で納棺の儀を終えたところで孫から『人は死んだら何処へ行くの?』と聞かれ『新しい旅立ちなのよ』と答えたものの、実の所自分でもどう答えてよいか分からなかった」という自らの体験を室伏マサ子さんが話された。これに対してブータンの事情に詳しい菊地豊さんは「ブータンの人は明確な答えを持っている」と次の様な話をされた「ブータンの人は大部分が敬虔な仏教徒で、仏壇にはお釈迦様を祀る。日本の様に先祖を祀る習慣は無い。死んだら生まれ変わると彼等は固く信じている。何に生まれ変わるか、牛か馬かハエかは分からないがとにかく生まれ変わるのだから死を悲しまない。生まれ変わるまでの現世で何をすべきか、お釈迦様の教えを守ることと固く信じている。だから彼等は生き物を慈しむ。日本の様に花を折ったりはしない」と。
「成程。ブータンの人は幸せなのだろうな。しかし・・・」と私は思った。「死んだら何処へ行くの?」と聞かれたら、どう答えてよいか私にも分からない。死んだら本当に生まれ変わるのだろうか。お化けではあるまいし、死んだら肉体は死に、それでおしまいではないのか。なにしろ三途の川を渡ってから戻って来た人はいないので、向こう岸の様子は分からない。これは永遠に古くて新しい問題としか言いようが無い。
死後に魂が生まれ変わるという輪廻(サムサーラ)の思想について、原始仏教の研究家並川孝儀氏は、古代インドの初期仏典に於いて時代を遡れば遡る程、輪廻に関する釈迦の表現は否定的かつ消極的になると指摘している。(並川孝儀著「ゴータマ・ブッダ考」大蔵出版)その端的な例が次の偈である。
「煩悩の矢を抜き取った比丘は、この世やあの世といった生存の繰り返しを捨てる。あたかも蛇が年を重ねると今までの皮を脱ぎ捨てるようなものである。」
もともと輪廻の思想は、釈迦在世時の古代インドで支配的宗教であったバラモン教の基本であった。この思想はその後ヒンドウー教に受継がれ、古代から現代に至るまでインドの多くの人々のものの考え方の基本になっている。釈迦はこの思想に疑問を投げかけた。だから当時としては全く新しい思想家だったのだ。しかし、年代を経るに従い仏教にも輪廻の思想が組み込まれ、あたかも輪廻思想が仏教独自の思想と思われる様になったというのが並川氏の仏教史観である。
釈迦は輪廻の思想を明示的にこそ否定はされなかったが、輪廻を超越した思想、少なくとも輪廻という概念に凝り固まった当時の階級思想に対して全く自由な革命的思想を提唱されたのではないかと私は理解する。同じく初期仏典に出てくる「毒矢のたとえ」が象徴的である。(前田専学著「ブッダを語る」NHKテキスト)長くなるのでその部分を私なりに抄訳すると、
ある時、釈迦に「霊魂は不滅でしょうか。あの世はあるのでしょうか。お釈迦様、今日こそは是非私のこの問いに明確にお答えて下さい」と問いかける者がいた。この男は釈迦の下で修行をしていたが、釈迦が輪廻について一向に明確な答えをされないので、これ以上釈迦から明確な答えが得られなければここを出てゆく決心でこの問いを発したのである。それに対して釈迦は次のように答えた。「もし毒矢が腕に刺さった男が『この矢を射た者は王族であるか、バラモンか、庶民か、奴隷か、それが分からぬうちは、この矢を抜き取るまい』と宣言したとしよう。彼には誰が射たか分からないのだから死んでしまうだろう。毒矢を抜くことが先決ではないか。同じ様に、あの世はあるかも知れない、無いかも知れない、私はそういう問いにはっきり答えないし、そういう議論に興味も無い。何故ならそんな問題を百年議論していても結論は出ないからである。私が求めているのはそんなことではなく、どうすれば人は心安らかに生きて行けるのか、そのためには何を実践すればよいのか、そのための正しい行いとは何かということで、それらについては、はっきりお答えしよう。」
この男が釈迦の答えに納得したかどうかは書かれていない。私なら納得したと思う。魂の生まれ変わりを信じようと信じまいと、人間の心につきまとう四苦八苦は無くなるものではない。苦の克服、解脱こそが釈迦の追求したものであろう。
では輪廻は因習に捉われた古い考えであり、現代の科学的思考と矛盾するものなのだろうか。現代に於いてもこれだけ多くの人々が輪廻を信じているのには、何かそれなりに根拠があるのではなかろうか。輪廻に対して現代に生きる我々はどう折り合いをつけることが出来るのだろうか。
この辺り私にはいつももやもやとしているのだが、ふと脳裏に浮かんだのは余語翠巖老師の「無限のものは有限のものにしか現れる所が無い」というお言葉がヒントにならないかということだった。天地のいのちという無限のものを有限の形に表わそうとして仏師は仏像を作る。仏像にはその無限のものが表わされている。それと同じ様に有限の生きとし生きるものに無限のものが表わされていると考えたのが輪廻ではないか。だから誰にでも分かりやすい様に「生まれ変わる」と説明したのではないか。仏師が仏像に託した無限のものが牛や馬やハエ、地上の生きとし生けるものに現れていると理解すれば輪廻を納得出来るのではないか。まさに現成公案である。
正法眼蔵第一現成公按に
「人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の死になるといはざるは、仏法のさだまれるならひなり。このゆへに不生という。死の生にならざる、法輪のさだまれる仏転なり。このゆへに不滅という。生も一時のくらいなり。死も一時のくらひなり。」
とある。道元禅師の御文章は難しい。しかし、あの「本来の面目」という御歌ならすんなりと入れる。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえて、涼しかりけり」
この春、京都であった親鸞展で、親鸞聖人の最晩年のお言葉に出会い、震える様な感動を覚えた。これこそ表題の問いに対する最も直裁的な答えではないかと思うので引用して拙稿を結びたい。因みに、聖人は道元禅師よりも二十七年年上で、禅師没年の九年後に亡くなっておられる。
「臨終まつことなし、来迎たのむことなし、信心さだまるとき、往生またさだまるなり」(末燈鈔)
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9月 25th, 2011
平成23年3月11日『東日本大震災』の記
放水の任務終えたる隊長の部下を称ふることばうるみて (徳島県)吉田 哲
「頑張って」「がんばれ」「ガンバレ」もう沢山!私とっくに頑張ってます (仙台市)坂本 捷子
ペットボトルの残り少なき水をもて位牌洗ひぬ瓦礫の中に (いわき市)吉野 紀子
五月十六日(月) 朝日歌壇 より。
第一首 テレビの画面が印象的でした。
第二首 つい言いたくなる言葉です。気を付けなければ。
第三首このご位牌はご先祖様。
2011年8月8日時点 死亡 15,680人 行方不明 4,830人。
★ 汚染された大気は目には見えなく音もなく臭いも色もなくいつの間にか忍び寄り予測がつかないような悪さをする。一日も早く収束することを願ってやまません。それと不幸にして震災に合われた人たちを継続して物心両面の援助させて頂く事の大切さを思います。
★ 88歳の友人は13日以降3月に予定していた食事会、カラオケ、ゴルフ、テニスなどの行事をすべてキャンセルしてその予定費用を全額募金したそうです。そして半月間全く何にもしないのは物心ついてから初めてだそうです。不安というわけではないのですが何かをする気力が湧いてきません。とのことです。
★ 私も貧者の一灯を4月8日に郵便局経由で募金を致しました。9月末まで募金の受付は続いています。この原稿を投稿したあとで、再度募金をする予定です。
★ 渋谷道玄坂上に30年以上続いている東京名禅会と言う坐禅の会が有ります。この会の指導者は毎年パリでも坐禅の指導をされております。そのパリの坐禅会の額縁職人の女性ジョスリン・ダルダヤさんが約30人の坐禅仲間から集めた約十万円を四月に義援金として日本に送ってきたそうです。指導者の方は『心の世界でつながった関係。尊いお金を寄せて頂き大変ありがたい』と感謝し島田市の義援金窓口に届けられたそうです。
★ 昭和62年6月26日は初代講元さんの命日です。あれから24年。藤田彦三郎さんは私たちに何ものにも変えがたいこの翠風講を残して呉れました。藤田さんがこの講を残して呉れたお蔭で、余語老師への思いも個別にならずに群れて語り継ぐことが出来てます。翠風講旗入魂式での『継続なされよ』との余語老師様のひとことがつい昨日のことのように思い出されます。
★ 今回の『東日本大震災』についてはどのように語って頂けるか?。いつまでも余語老師様と藤田初代講元様に頼らず自分で答えを出さなければと思いながらつい頼ってしまいます。
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9月 25th, 2011
六月二十七日、立川シネマ①で、「デンデラ」を見た。豪華な女優陣が老婆に化けた。七十歳になると山に捨てられるという姥捨て山伝説のその後を描いた「デンデラ」(浅岡ルリ子主演)という名の映画である。監督は天願大介。父の今村昌平監督は、姥捨て山伝説を題材にした「楢山節考」(深沢七郎著)でカンヌ国際映画祭の最高賞に輝いた。その後日談を老婆たちが生きていたら、という構想をもとに娯楽作品に仕立てたものである。
極楽浄土に行くことを願っていたカユ(浅岡ルリ子役)は、助けられ、老婆の集落「デンデラ」で暮らすうちに生きる力を取り戻していくという筋書きで、浅岡のほか、草笛光子、倍賞美津子、山本陽子ら五十人の女優が老婆になり、ぼろをまとった。老女が再生する物語と思いきや、集落が熊に襲われると、映画は熊との対決一色になり、名女優が熊と戦い「デンデラ、デンデラ」と叫びながら次々と倒れていく。カユも雪山を疾走し、熊に立ち向かう。ラストシーンは、手負いの熊と正面対決の睨み合いで終わってしまって何か物足りない感じがする。ここはあえて見る人の判断にまかせるという手法を監督はとったのであろう。
もし余語老師が存命で、この映画をご覧になっていたら、何とおっしゃったか想像してみたい。ともあれ、死後の世界を扱った作品としては異色で奇異な感じがした。
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9月 25th, 2011
6月15日よりネパールを経由してブータンに行ってきました。ブータンは、モンスーンの始まりでヒマラヤの峰々は厚い雲に蓋われ夜には雨が降ります。ブータンは、田植えの真っ盛りで棚田の緑がとてもきれいです。日本アルブスの農村風景とよく似ています。ブータンの首都ティンプーでは国立図書館、伝統的治療院、紙すき工房、民族博物館、サンデーマーケットなど今まで訪れていないところを中心に観光しました。とくに古い農家を移築し開館した国立民族博物館は、農機具や生活用品が展示されブータンの伝統的な生活を見ることが出来ます。首都ティンプーでも民族博物館のような古民家がたくさんあったそうですが開発の波が寄せて今は殆ど見られないそうです。
ブータンの男性は日本の丹前のような着物「ゴ」を着ています。女性は「キラ」と呼ばれる民族衣装を着ています。パロ国際空港に降りると空港の係員から税関職員まですべて民族衣装を着ています。ブータンでは学生から公務員、サラリーマンまで外で働いているときは民族衣装を着用しなければいけないと法律で決まっているそうです。とくにゾン(お寺と役場が一緒になっている)に入る時は、男性は、肩から袈裟の様なスカーフを着用し、女性は肩から帯状の肩掛けを付けないとゾンには入れません。但し外国からの旅行者は正装しなくても見学できます。袈裟の様な肩から掛けるスカーフは、一般の人は白、大臣は赤、国王は黄色と階級によって色分けされています。外国人でたった一人大臣が着用する赤色をもらった日本人ダショーと呼ばれた西岡京司は有名です。
男性のゴは膝上まで着物をたくしあげるので男性がスカートを履いた感覚です。膝下がスースーして冬は寒いです。椅子に座るときは膝をくっ付けて座らないとパンツが丸見えになります。常に注意が必要ですがブータン人はあまり気にしていないようです。足にはハイソックスを履き革靴を履いています。ブータン人は、家に帰ると民族衣装を脱ぎ我々と一緒の洋服やジーンズ等を履いています。ゴは着なれると冬は温かく夏は涼しくとても活動的です。ブータン人はお洒落でゴやキラを十着以上持っているそうです。既製品で五千円程で買えますがオーダーメードは一万円以上します。とくに金銀を織り込んだ手織りゴやキラは数万円から数十万円もするそうです。
今回の旅行でとても印象深かった所はティンプーから一時間程離れたチェリー僧院です。標高二千三百mの山の中に修行僧が暮らしている僧院がたくさんあります。山道を一時間以上登って僧院の本殿に到着します。どこからともなく読経が聞こえ荘厳な雰囲気に包まれていました。修行僧が寝泊まりしている宿坊には一般の人は立ち入り禁止だそうです。チェリー僧院の峰ひとつ向こうにタンゴ僧院が見えます。タンゴ僧院はお坊さんの学校で優秀なお坊さんだけが入門を許されているそうです。タンゴ僧院での修行が終わるとチェリー僧院で瞑想をし、各地のゾンやお寺に配属されるのだそうです。チェリー僧院の帰り道、修行僧と話す機会があり瞑想の仕方を尋ねたところ日本と同じ座り方で座禅を組んでいるとのことです。座布を用いるかどうかは分かりません。
今回の目的は数年前まで外国人が訪れることが出来なかった「ハ」を訪れブータンの伝統的農家を訪れることでした。「ハ」はチベット(中国)、インドと国境が一番近くインド軍が駐屯している関係で長い間外国人に鎖国状態でした。その為ブータンで最も素朴な農村風景や人々の暮らしが見られると言われています。標高四千mのチェレラ峠を越えると「ハ」谷が一望できます。棚田と伝統的農家が点在し桃源郷のようです。観光化されていないお寺を訪ねたり農家でお昼をごちそうになったりしました。ある農家でお昼をごちそうになりましたが、野菜中心のとてもシンプルな食事でお肉は毎日食べないそうです。農家の主人は奥さんでご主人は兄弟で婿入りしたのだそうです。兄弟で一人の女性と暮らすのは大変ですかと伺いましたら交代で家を空けるので特別問題ないと言っていました。 ブータンでは女性の場合も男性の場合も一夫多妻、一妻多夫が認められているそうです。
最近日本でもブータンの人気が高まってきました。とくにグロスナショナルハピネスGNH(国民幸福量)が話題になっています。ブータン人は毎日の生活が幸せと感じているそうです。何が幸せの原点になっているか次回の旅行で探ってみたいと思っています。
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8月 17th, 2011
古語に「河頭に水を売る」というのがある。濁り川のほとりで、きれいな水を売るというようなことではない。水はきれいなものという時代のことである。誰もお金をつかって買うものはいない。無駄事である。余計なつまらぬことである。そこで売られている水というのは、何をいうのであろうか。社会に生い育って来た法律、道徳、文化のたぐいである。生ずべくして生じた事であるが、生ずべくしてというのは、いつのころからか、我の意識が出来てきて、私共の生きているすがたが、ぎくしゃくしてきて、そこに規則をつくって、できたのが、法律や道徳であるから、当然そこに規則が生まれて、云われるように、命の自由がなくなってくるという。団体生活には当然のことであるが、自由な生涯にあこがれるには又別途の道が模索される。
自己のすがたに徹することである。比較の中に生きている世間相場だと、ねたみ、憎しみなどの心にゆり動かされることになるが、自分のすがたに安住してみれば、それはそれという世界である。
河の流れに随って、十分水足りてあるすがたを会得して見れば、河頭に売っている水をほしがらぬ。放てば手に満てりと示されてある。ある人の曰く、「春の野に咲くすみれの花が、美しいとか、役に立つとか云うのは、御自由であるが、それはすみれ自体の問題ではない」と。いつもこのような自由の天地におりたいと思う。
幸というのは、或は不幸というのは外にあるのではない。そのことの見える心の窓の開けることが、御信心と云うことである。
1979年9月
(余語翠巌老師著 「去来のまま」より)
英訳はこちら
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4月 22nd, 2011
私は生涯に二度、余語翠巌老師から御はがきを頂いた。この二通は、後生大事に保管している。
一つは昭和六十三年(1988)九月のものである。この年の夏、私は十日程の休みを取って妻と欧州旅行に出かけた。スイスのジュネーブで、たまたま万年筆の専門店を見つけたので、余語老師の喜寿のお祝いにと思いペリカンというドイツ製の万年筆を買い求めた。これは日本字をとても柔らかいタッチで書ける私の好きな金ペンである。帰国後、大雄山の夏期禅学会に上山した際、真如台に老師をお訪ねして差し上げた。翌月になって頂いたのがこの御はがきである(写真)
老師独特の達筆で、よーく読まないと分り難いが、こう書いてあった。
「禅学会では御無礼致しました。すばらしい萬年筆を下さって有難うございました。今朝原稿を書いてもう手放せなくなりました。この字もそれで書いております。暑さが戻ってきました。残暑にふさわしい日々です。御大事に。
奥様よい小旅行でしたね。
大雄山中 余語翠巖」
ああよかった、老師に気に入って頂いてと安堵したのは勿論である。
実は、この万年筆には後日談がある。それから五、六年もたってからであろうか。どこだったか記憶にないが、老師とお会いした時、こんな事を私に話されたのである。
「そやそや、あんたに貰うた、あの万年筆なあ。あれを飛行機の中で使ってたんやが、下りしなにどこかで無くしてもうてなあ。こりゃしもたと思うて、すぐに劫外(当時侍者をしておられた丸山劫外さん)にあれと同じもんを買うてこいと買いに行かしたんや」と。
惜しいことをされたとは思ったが、それ程までにあの万年筆を御愛用頂いたのかと内心嬉しくもあった。差し上げた者にとっては冥利に尽きるお言葉である。こんな老師のお言葉こそが「愛語」というものであろうかと思った。
もう一通は中国の桂林から頂いた絵はがきである。何時の年だったか分らなくなったので、同道された小松勝治さんに確かめてところ、これは平成七年(1995)九月のことで、楽しい旅だったそうである。それには、
「七日 桂林着三泊の遊山
気軽な旅はよいものと沁じみ思っております
昨夜は十五夜の寂かな棭(夜?)でした
清風と明月ありて
漓江あり
翠巖」
とあった。旅先で誰彼となくペンを走らせておられる優しいお心遣い。そして私にまでお出し頂いた老師のお気持に心底感激したものである。それにしても、老師の御帰国後果たしてこの御はがきのお礼をきちんと申し上げたどうか、記憶をたどってみても甚だ心もとなくなってきた。不肖の弟子の失礼の段。せめてものお詫びにと思い、昨年暮れの老師の御命日には、墓前にこの御はがきをお供えしてお参りさせて頂いたという次第である。
(平成二十三年一月)
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3月 31st, 2011
清き風旗はためきて天高し
平成22年10月21日 テンプー ホテル「プンツオベルリ」にて。
谷間にはためくのぼりの旗や運動会の万国旗の様な旗にも経文が印刷されており、あたかも谷間の風が経文を読んでいる様です。また、水車の原理でマニ車を廻している谷間の清流も、あたかも経文を読んでいる様に見えます。ある尼僧堂では三十人程の若い尼僧さんが寒い本堂を避けてサンルームの様な日だまりで堂長さんの指導で経文を読んでいます。この様にブータンの天地は日夜経典で満ち溢れております。そんなブータンに3ヶ月前行って参りました。
国民総幸福量(GNH=Gross National Happiness)を標榜する国です。
ブータンは世界でいちばん幸福な国と言われております。海外旅行は平成19年以来2年ぶりです。2年前のインドの旅は仏教聖地 釈尊の生誕、成道、初転法輪、 入滅の四大聖地等を坐禅しながらその土地にまつわる提唱を聞きながらの12月8日を含む九日間の旅でした。
今回は北伝の大乗仏教寺院を辿る11日間の旅です。インドの旅も早朝出発で夜遅い到着で難行苦行の旅でしたが、今回も日程はインドほどでは有りませんが標高三千五百㍍以上の峠を越えるインドの旅にも勝るとも劣らない難行苦行の旅でした。徳のある高僧が伝えた仏教はその住居は例えばインドでは玄奘三蔵も五年間学んだナーランダ仏教大学の僧院跡地と同じような住居に今も若い僧が住居して修行している様は印象に残りました。深い情熱を秘めた指導者が居り、国が保護すれば仏教はしっかりと伝わると云う事をこの目で確かめることができたことは最大の今回の旅の成果です。
国民総幸福量について。 『いま、幸せですか?』 2006年5月、ブータンで久し振りに国勢調査が行われた。その国勢調査の中には「あなたはいま、幸せですか」という質問項目があり、それに対して国民の97パーセントが「幸せです」と答えたそうである。国民の中には「あなたは幸せですか」という質問にどう答えていいか戸惑った人もいたと聞くがそれにしても高い数字である。 個人的なことだが、ブータンのGNHを研究し始めて早や二年になる。いまではGNHという言葉も市民権を獲得しつつある。しかし、ほんとうにブータンの人々が幸せを実感してくらしているのだろうか。・・・・以上は『美しい国ブータン』副題 ヒマラヤの秘境ブータンに学ぶ「人間の幸せ」とは?平山 修一著 リヨン社 よりの引用です。このことを私も行ってみて実感してみたいと思つた訳です。
結果は昨年十月二十八日帰国以降考え続けているのですが、私にはわかりません。帰国後しばらくは私自身とても穏かな気持ちでいられました。三ヶ月経過した今も当時の事を考えるととても穏かでいられます。それもなぜだか解りません。その辺に 『いま、幸せですか?』への答えの鍵が有るのかも知れません。今回の日々断片はここまでと致します。
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3月 31st, 2011
平成23年1月19日 『現代学生百人一首の一部を読んでの記』
「アレ取って」以心伝心「はい、どうぞ」二十五年の夫婦の絆 高一 石井優希
そばをうつ父の姿を眺めてる母の視線はどこかあたたか 高二 中山芙美
泣きながら内定決まり一番に電話したのは大切な祖母 高三 猪尾梓
第二十四回「現代学生百人一首」東洋大学が毎年発行している全国六万余首の内、朝日新聞の天声人語に掲載された十首のうちの三首。いまどきの若い者はと軽々しくは言えないなと思う。
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3月 31st, 2011
平成22年10月2度目のブータンへ小松さん、大石さんと旅行しました。平成22年1月に訪れた時は未知の国へ訪れる不安と期待でかなり緊張しましたが二度目はふるさとに帰ったような懐かしさで一杯でした。
私がブータンに興味を持ったのはチベット仏教とブータンの前国王が唱えている国民総幸福量(GNH)についてです。全ての国民が毎日幸せに生活していると言える国はあるのでしょうか。ブータンでは96%の人が毎日幸せに生活していると答えているそうです。ブータンの田舎は日本の40数年前と同じです。トイレは外、部屋には、窓ガラスがなく寒風が吹き込んできます。ブータンの人々は標高2300mクラスの山岳地帯で生活しています。日本のような平坦な土地はわずかしかありません。耕作面積も段々畑のように山の斜面を耕して稲や野菜をつくっています。僅かばかりの土地を耕して食料を確保しているのです。毎日の生活で満足に食べられる量は限られていると思います。でも自分たちの生活はここで取れたもので満足して生活しなければいけないと自覚しているのでしょうか。
薄暗い台所の炉辺でうずくまって生活していても幸せなのだろうか。食べるものも満足にない生活が幸せと感ずるのでしょうか。さまざまな疑問が浮かび上がります。一回目の訪問から帰るとブータンに関する本を手当たり次第読みました。そして少し分かったことは、ブータン人が幸せに感じるのは物ではなく心の幸せを感じていることです。ブータンは、長い間の鎖国政策で仏教が生活の中に浸透し仏陀の教えを毎日の生活に取り入れて生活しています。
前国王が唱える国民総幸福量(GNH)は、物質面の豊かさより心の豊かさがどの位満足しているのかの度合いかと思います。日本は戦後高度成長を遂げ毎日の生活が豊かになりました。しかし反面親が子供を殺したり、子供が親を殺したり、自殺する人が年々増え続けています。本来ならば物が豊かになると心も豊かになるはずでした。人間はさらによりよい生活を望みお金第一主義になってしまったようです。もっと心の豊かさを見つける努力をしてもいいのではないでしょうか。ブータン人は「幸せを感じる力」「いいところを見つける力」が日本人より強いのではないかと思います。お金がたくさんなくても心から幸せを感じる力が強ければ幸せな生活が出来るのではないでしょうか。
ブータンを訪れて感じたのは人々がとても親切で相手の身になっていろいろしてくれることです。例えばブータンのガイドはとても安い給料です。そして朝早くから夜遅くまでお客の為に働いてくれます。夜は寝袋で休み食事の時は、お客とは同席しません。会社から強制されなくても自分の役割を心得ているようです。日本はマニュアルがなければ何もできません。日本人はマニュアル通り仕事をしていますが心が空っぽになっているのではないでしょうか。「幸せを感じる力」を増やすにはどうしたらいいのでしょうか。何かブッダの教えにヒントがあるような気がしてなりません。
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